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行到水窮處

行到水窮處

いてはいたみずきわまるところ

王維「終南別業」(三体詩)
行到水窮處
いてはいたる みずきわまるところ
坐看雲起時
してはる くもこるとき
  • 入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』には、「ぶらぶら歩いて流れの源に到りつき、腰をおろしてちょうど雲の湧き起ろうとするところを見る。ことのかんどころ、落着するところをつかむ意に用いる」とある。【行到水窮処、坐看雲起時】
  • 柴山全慶編『禅林句集』には、「無心の境界、無心の用處を云う」とある。【行到水窮處坐看雲起時】
  • 『禅語字彙』には、「安閑無事にして、水と共に行き雲と共に去る無心の境界をいふ。然れども上句を動底、下句を靜底として看る時は、般若の動用を上句で云ひ、禪定の極底を下句にて拈評することあり。祖録では種々の意味に此句を用ひ居れり。三體詩に見ゆる王維の詩句なり」とある。【行到水窮處坐看雲起時】
  • 『句雙葛藤鈔』には「安閑無事無心底ノ作用也」とある。【行到水窮処坐看雲起時】
  • 芳賀幸四郎『新版一行物』には、「……都留春雄氏は『中国詩人選集』の六、『王維』において、この詩を、(中略)ぶらぶらと、流れの尽きるあたりまで歩いて行き、そこで腰を下す。塵念(世俗の雑念)を離れて、雲の湧くのを無心に眺めている――その時間。……と訳解しておられる。(中略)一般に禅者がこれを愛誦するのはなぜであろうか。それはほかでもない。この二句に託された境涯が、禅家の理想とする境涯――大自然を友としてこれに同化し、『雲の如く無心、水に似て無相』と悠々自適する境涯、無作無心・安閑無事の境涯とよく合致しているからである」とある。【行到水窮処 坐看雲起時】
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