滅却心頭火自涼
心頭を滅却すれば火も自ずから涼し
『碧巌録』第四十三則
安禪不必須山水、滅却心頭火自涼。
安禅は必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ずから涼し。
- 元の句は杜荀鶴の「夏日、悟空上人の院に題す」である。字句に異同があり、「滅得心中火自涼」に作る。
- 安禅 … 坐禅の換語に用いる。
- 心頭 … こころ。頭は名詞接尾詞。
- 滅却 … ほろびつくす。なくなってしまう。却は完了の助詞。
- 『新版 禅学大辞典』には、「分別妄想の念慮を滅する」とある。【滅却心頭】
- 入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』には、「心しずかに坐禅するには必ずしも山水が必要なわけではない、心頭を滅却すれば(分別心を亡じてしまえば)火すらももともと涼しいものだ」とある。【安禅不必須山水、滅却心頭火自涼】
- 柴山全慶編『禅林句集』には、「坐禪は靜かな山中とは限るまい、無心なれば如何なる處でも安心決定。寒熱の地獄に通う茶柄杓も心なければ苦みもなし(利休) 妙悟には寒熱を超ゆる消息がある」とある。【安禪不必須山水滅却心頭火自涼】
- 『禅語字彙』には、「坐禪は何處ででも出來る、靜かな山中には限るまい。雜沓にさへ捉はれねば、市中でも變わりはあるまい」とある。【安禪不必須山水滅却心頭火自涼】
- 芳賀幸四郎『新版一行物』には、「世の人びとは、坐禅をするには清閑な山中とか清涼な水辺とかでなければならぬようにいっているが、必ずしもその必要のないことがわかる。肝心なことは寒い暑い、苦しい楽しいというような相対的なものを超越した心をもつことで、そういう心をもちさえすれば、火もおのずから涼しいという境地に遊ぶことができるもののようである。(中略)ここにいう『心頭を滅却す』とは、苦を憎み楽を愛し、美を取って醜を捨て、生を喜び死を憎むというように、物事を相対的にみて分別取捨する心を殺しつくし、苦しい時には苦しい三昧、楽しい時には楽しい三昧になりきることである」とある。【安禅不必須山水 滅却心頭火自涼】
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