溪邊掃葉夕陽僧
渓辺に葉を掃く夕陽の僧
鄭谷「慈恩の偶題」(三体詩)
往事悠悠成浩歎
往事 悠悠として浩歎を成す
浮生擾擾竟何能
浮生 擾擾として 竟に何をか能くせん
故山歳晩不歸去
故山 歳晩れて 帰り去らず
高塔晴來獨自登
高塔 晴れ来って 独り自ら登る
林下聽經秋苑鹿
林下に経を聴く 秋苑の鹿
溪邊掃葉夕陽僧
渓辺に葉を掃く 夕陽の僧
吟餘卻起雙峰念
吟余 却って起す 双峰の念
曾看庵西瀑布冰
曾て看る 庵西 瀑布の氷
- 鄭谷 … 849~911。唐末の詩人。字は守愚。江西袁州(今の江西省宜春市)の人。光啓三年(887)、進士に及第。詩集『雲台編』三巻がある。ウィキペディア【鄭谷】(中文)参照。
- 慈恩 … 大慈恩寺。陝西省西安にある。境内にある大雁塔が特に有名。ウィキペディア【大慈恩寺】参照。
- 浩歎 … 深いため息をつくこと。浩嘆。
- 浮生 … はかない人生。
- 擾擾 … ごたごたとみだれるさま。
- 故山 … ふるさとの山。転じて、故郷。
- 秋苑 … 秋の庭。ここでは、大慈恩寺の境内を指す。
- 渓辺 … 谷のほとり。
- 掃葉 … 落ち葉を掃き集めること。
- 夕陽 … 夕日。
- 吟余 … 詩を吟じたあと。
- 双峰 … 蘄州黄梅県(今の湖北省黄岡市黄梅県)の双峰山四祖寺を指す。
- 庵西 … 庫裡の西。
- 柴山全慶編『禅林句集』には、「一人の老僧が溪のほとりで落葉を掃いている。悠々閑寂の妙景。夕陽は老境の喩」とある。【溪邊掃葉夕陽僧】
- 芳賀幸四郎『新版一行物』には、「四料簡とは、『或る時は人を奪うて境を奪わず。或る時は境を奪うて人を奪わず。或る時は人も境も倶に奪う。或る時は人も境も倶に奪わず』というのである。(中略)そのうちの『境を奪うて人を奪わず」とは、真実の我が一切の外境に対してその主人公となり、何ものにも依存せず拘束されない独脱無依の真人として、一切の外境を自由自在に使いこなすことである。(中略)ちなみに『掃葉』で一切の外境の否定(奪)を暗示し、『夕陽の僧』で『乾坤只一人』をにおわせているのである」とある。【渓辺掃葉夕陽僧】
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関連リンク
- 三体詩(ウィキペディア)
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