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山是山水是水

山是山水是水

やまやまみずみず

『雲門広録』、『大慧武庫』、『宛陵録』他
〔雲門広録、巻上〕
上堂云、諸和尚子、莫妄想。天是天、地是地、山是山、水是水、僧是僧、俗是俗。良久云、與我拈案山來看。
じょうどういわく、「諸〻もろもろしょう妄想もうぞうすることなかれ。てんてんやまやまみずみずそうそうぞくぞく」。良久りょうきゅうしていわく、「ため案山あんざんねんたりよ」。
  • 案山 … 主山に対して、その手前にある低い山。按山。客山。
  • 『新版 禅学大辞典』には、「諸法実相の立場からは万法事事が独立して絶対的なものであることを示す語。対語の『山是非山、水是非水』は、真如の立場からみれば、万法は同一体であり、山や水というのはあくまでも仮の名であるということ」とある。【山是山水是水】
  • 入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』には、「山は山として、水は水として完結している」とある。【山是山、水是水】
  • 柴山全慶編『禅林句集』には、「現實そのままが眞實の相。悟りの妙相」とある。【山是山水是水】
  • 『禅語字彙』には、「山は山、水は水で、各其本分を示して居る」とある。【山是山水是水】
  • 芳賀幸四郎『新版一行物』には、「……一度は万人、万物みなこれ平等無差別であることに徹し、貧富・美醜・大小などの差別を取捨する念慮や執着心を超克した上で、男は男、女は女とその差別を認め、美しいものは美しい、醜いものは醜い、善いものは善い、悪いものは悪いと判断して、いささかのまぎれもない境涯に到ること、これが大切である。この境涯に達してはじめて、自然と人生との豊かさが本当にみえ、かつ味わいうるようになるのである」とある。【山是山水是水】
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