本來無一物
本来無一物
『六祖壇経』
菩提本無樹
菩提本樹無し
明鏡亦非臺
明鏡も亦た台に非ず
本來無一物
本来無一物
何處惹塵埃
何れの処にか塵埃を惹かん
- 菩提 … 悟りの境地。
- 『六祖壇経』には異本が多いが、ここでは『法宝本六祖壇経』(『大正蔵』所収)に拠った。ちなみに『敦煌本六祖壇経』(『大正蔵』所収)では「菩提本無樹 明鏡亦無臺 佛性常清淨 何處有塵埃」に作る。
- 『新版 禅学大辞典』には、「あらゆるものの真実のすがたは、本来執すべき一物もないこと」とある。【本來無一物】
- 入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』には、「一切は空無であってなにものも実体はない。六祖慧能の偈の句」とある。【本来無一物】
- 柴山全慶編『禅林句集』には、「本來一物も無し。禪體驗の端的を呈示した語。教相的には、一切の存在は因縁によつて生起せるものであり、そのもの本來の自性があるわけではないということ」とある。【本來無一物】
- 『禅語字彙』には、「森羅萬象の形相は、因縁生にて自性無き故に、執著すべき一物も無きをいふ。此句は六祖投機の偈の第三句にて、諸法の實性は本來空にして、有無得失を離れて、空、即ち平等なる旨を無一物といへる也」とある。【本來無一物】
- 芳賀幸四郎『新版一行物』には、「……いやしくも六祖大鑑慧能の法系に属する禅者ならば『本来無一物』と悟り、物質的な執着はもとより精神的な執着も一切放下して、徹底空の境涯から『雲の如くに無心に、水に似て無相』というように、洒々落々と生きるべきである。(中略)『本来無一物』の境涯をわがものとし、その『円虚清浄の一心』から運び出してこそ茶は禅に通じ、またその上に立って『無一物中無尽蔵、花有り月有り楼台有り』というように、道具をあるにまかせて自由に駆使してこそ、まことのわび茶というものであろう」とある。【本来無一物】
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