無心歸大道
無心なれば大道に帰す
真浄克文「道士の壁に書す」
仙學迷多説
仙学は多説を迷わす
當依柱史評
当に柱史の評に依るべし
無心歸大道
無心なれば大道に帰し
有得失長生
得有れば長生を失す
物我同真宰
物我真宰を同じうし
親踈豈可名
親疎豈に名づく可けんや
良哉衆妙本
良いかな衆妙の本
一一在忘情
一々忘情在り
- 書道士壁 … 『宝峰雲庵真浄禅師語録』(『古尊宿語録』巻四十五)所収。
- 真浄克文 … 1025-1102。臨済宗黄龍派の僧。陝府閿郷(今の河南省陝州区)の人。俗姓は鄭氏。号は雲庵。黄龍慧南に参じてその法を嗣ぐ。真浄大師の諡号を受ける。ウィキペディア【寶峰克文】(中文)参照。
- 仙学 … 仙道。道術。
- 柱史 … 老子をさす。
- 大道 … 仏法の大道をさす。
- 長生 … 長生きすること。
- 物我 … 外物と自分。
- 真宰 … 天地を主宰するもの。
- 衆妙 … 一切の玄妙の理。
- 忘情 … 喜怒哀楽の情を忘れること。
- 芳賀幸四郎『新版一行物』には、「……『無心』とは、(中略)ああのこうのと作為したり、何やかやと取捨分別する心のないこと、簡単にいえば先きに説いた『無心』『平常心』のことである。すでに『平常心 是れ道』であるから、平常心すなわち『無心』になれば、そこからでる言行云為がおのずから道に合するのは、理の当然というべきである。真に無心の境涯に体達して天地自然の大道と一つになって悠然と生きたいものである」とある。【無心帰大道】
- 沖本克己/竹貫元勝著『これで大丈夫禅語百科』には、「無心とはもちろん空白状態のことではない。あれこれ作為したり選り好みしたり、あるいは悟ってやろうなどという計らいを捨てることである。大道とは菩提、悟りのことであり、茶道の奥義と考えてよい。平常心の境涯に徹すれば自ずから開けてくる」とある。【無心帰大道】
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