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百花春至爲誰開

百花春至爲誰開

ひゃっはるいたってためにかひら

『碧巌録』第五則
牛頭沒、馬頭回。曹溪鏡裏絶塵埃。打鼓看來君不見。百花春至爲誰開
牛頭ごずぼっし、馬頭めずかえる。曹渓そうけいきょう塵埃じんあいぜっす。ってたるもきみず。ひゃっはるいたってためにかひらく。
  • 類語に「ひゃっためにかひらく」(百花為誰開)、「はるいたりてひゃっひらく」(春到百花開)、「はるいたりておのずからはなひらく」(春到自花開)がある。
  • 入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』には、「春が来て花々が咲き出るのはいったい誰に見せようとてか。せっかくの満地の花をなぜ見て取れぬのか」とある。【百花春到為誰開】
  • 柴山全慶編『禅林句集』には、「春の花は何人のために開く。天眞自爾の妙」とある。【百花春到爲誰開】
  • 『禅語字彙』には、「春の百花は誰が爲に咲くか。年々歳々花相似たりで、不生不滅の標本じやの意」とある。【百花春到爲誰開】
  • 芳賀幸四郎『新版一行物』には、「……自らの本然の性のままに開いて、自らも満足し他をも喜ばせ、しかもいささかもその功に誇ることのない花の在り方・生き方は、自利しようの利他しようのとの意識もなく、ただそうせずにおれなくて自利・利他円満の遊戯ゆげ三昧ざんまいを行じ、誰彼の別なく万人に無縁の慈悲を知らぬ間に施し、しかもその功に誇ることのない真の宗教家、たとえば観音菩薩やてい和尚の在り方・生き方と、まことによく似ている。『百花誰が為にか開く』とは、まさにこのようにして、あるべき宗教家の理想像を示すものと、私は解釈している」とある。【百花為誰開】
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